2014年06月24日

アセスメントの定義・方法

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【アセスメント】とは……

アセスメントは、

ソーシャルワークの過程では最も重要とされる部分で、

支援をするにあたって必要な情報を収集し、

ニーズを分析することである。

アセスメントでは、

利用者の生活全般にわたる現在のニーズ、

心身の健康状態、ADL(日常生活動作)、IADL(手段的日常生活動作)、

心理社会的機能、経済状況、住宅状況、家族関係、

利用している社会資源などの多方面の情報が必要となる。

そして、今直面している状況を理解し、

ニーズを把握することが必要となる。

その際、ソーシャルワーカーは、利用者の強さをみつけ、

その強さを活かす視点をもつことによって

エンパワメントができるように働きかけることが必要である。

できないことばかりに目を向けるのではなく、

できていることはなにか、

それを活かすにはどのような方法があるのかを、

ともに考えることが求められる。

■参考文献:相澤譲治、大和三重
『ソーシャルワーカー教育シリーズBソーシャルワークの理論と方法U』

★アセスメントは3つの要素があります。

アセスメント三大要素

■身体機能的状態
利用者本人の身体の麻痺・拘縮や疾病などの状態、
ADL(日常生活動作)
IADL(手段的日常生活動作)など

■精神心理的状態
利用者本人の意欲や満足度、
障害受容ができているか、
情緒の状態など

■社会環境的状態
家族関係や介護者の状況、
近隣との関係、住環境、
経済状況、利用者を取り巻く社会資源など

アセスメントにおいて社会資源からの情報収集も重要です。

フォーマルな社会資源(SW、生活支援員など)

インフォーマルな社会資源(友人など)

以上、アセスメントに関するメモでした。
posted by yyymmm at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会福祉士 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月15日

認知症の人や家族が地域で安心して生活するために必要な支援とは

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認知症の人や家族が

地域で安心して生活するために必要な支援を考えます。

認知症とは脳の病気で、

治る(改善される)場合もあります。

しかし多くの人は、認知症ときくと、

どんどん状態が悪くなるだけで実に困った治らない病気だと思っているようです。

認知症が正しく理解されていないですね。

認知症の症状には、中核症状と周辺症状があります。

これも案外知られていないのです。

正しく理解しようとするなら、

物盗られ妄想も、認知症という病気のひとつの症状ですから、

受け答え等を考えて、症状に応じた対応をすればいいのです。

熱が出たら、おでこを冷す…これと同じです。

認知症の人から、「物を盗ったのはあなただ」と言われても、

声を荒げて「私は盗ってない」と否定することが、

決して良いとは限らないのです。

認知症の人やその家族が

地域でこれまでどおりに暮らしていくためには、

周囲の認知症への理解が不可欠です。

家族も悩みを内に抱えこむのではなく、

オープンにしたらよいのであり、

そのようにできる地域の環境作りこそ大切。

認知症は

初期治療が早いほど進行を遅らせることができる等のメリットがあります。

もちろん状態によりますが…。

オープンにすることは、認知症を重篤化させないためにも重要です。

さらに、となり近所や公的機関、介護事業所、かかりつけ医等

どのような地域資源、人的資源があるのか、

俯瞰で捉える必要があります。

そのうえで、地域の各資源と認知症の人や家族とを結びつけるような、

橋渡し的な役割を果たす人(機関)が必要なのではないでしょうか。

そして家族が、他に委ねられる部分は委ねられるように、

地域で見守りながら、とともに暮らすといった地域作りが理想的。

それだけに

先に述べたような橋渡し役の認知症の専門家(機関)を、

地域の人が利用・相談しやすい環境で提供できるような仕組みづくりが

必要になってくると感じます。
posted by yyymmm at 09:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会福祉士 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月23日

イギリス障害学における「disabled」とは?

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野中毅『心の病回復への道』を読んでいます。

基礎知識満載で面白いです。

その中で、イギリスの障害学についての記述がありましたので、ちょっとお勉強(笑)


「ショウガイ」の表記をめぐっては、日本でも「障害」「障碍」「障がい」と、

それぞれの主張のあるところです。

障害学は『Disability Studies』と訳されています。

障害者を、アメリカでは『people with disabilities』と表記。

『disabled people』に比べて、幾分か丁寧な感じがしますね。

*ちなみに、「障害をもつアメリカ人法(ADA法)」は

『Americans with Disabilities Act』です。


さて、それに対してイギリスの障害学では、

『disabled people』という表現を、あえて使っているようです。

この『disabled』は過去分詞、すなわち

受け身用法としての、「できなくさせられた人々」という意味になります。

形容詞としての『disabled people』=「できない人々」

―――の使い方とは、似て非なるものなんです。

イギリス障害学においては

この受け身用法「できなくさせられた」を、あえて使うことで、

「できない人」という意味でななく、

「社会によって能力を奪われた人」

―――という、新しい概念に置き換えているわけです。

そして当事者たちは、自らをあえて「障害者である」と主張することで

社会に対して、「できなくさせられた者のいる、この社会はどう思う?」

って、問いかけるべきだ…としているのです。

障害を、個人の属性ではなく、社会の問題として提起しているのだと思います。

このように考えますと

障害を「個人のせい」にするのではなく、

「社会に問題があるのだ」と、理解・認識を広めていくことが大事なのだと感じます。

そして、そこには合理的配慮(権利の保障)を忘れてはならない…と思うのです。





posted by yyymmm at 17:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会福祉士 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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